八木仁平さんの著書『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』では、①「大事なこと」を見つけ、次に、②「得意なこと」を見つけ、最後に、③「好きなこと」を見つけるという自己理解プロセスで、本当にやりたいことで成功することを目指しています。著者は、「大事なこと」を価値観と定義していますが、セカンドキャリア(転職、副業、複業、独立起業)を考える際に、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
やりたいことを見つける3つの「こと」とは?
その前に、おさらいですが、著者は、「好きこと」と「得意なこと」が重なるような仕事が、「やりたいこと」だと述べていますが、さらに、「やりたいこと」の一段上である、「本当にやりたいこと」を見つけるべきで、そのためには、「大事なこと」を最優先に考える必要があると言っています。
「好きなこと」の対象が、個人にとっても変わってしまったり、また、社会から有用とされない可能性があるからだといいます。この本では、自己理解とは言っても、前提として、社会で稼いで生きていくことを目指しているので、「好きなこと」を最優先にしては、仕事を失うリスクが高いと考えているのでしょう。
その前提からすると、「得意なこと」は、仕事の直結するので、それだけでも、仕事を見つけるための重要な才能ということになります。
しかし、何といっても、重要なのは、「大事なこと」です。
著者は、「大事なこと」を価値観と定義しています。そして、自分軸で考えた価値観であれば、モチベーションが持続し、長期的にはそのキャリアで成功するといいます。
「大事なこと」とは、〇〇である
「大事なこと」とはなんでしょうか?
もちろん、「大事なこと」には、価値観も含まれると思います。
でも、本当に、「大事なこと」とは、「価値観」、なのでしょうか?
実際、著者は、5つの質問に回答することで、「大事なこと」=価値観=が見つかるといいます。
- 尊敬する人、友人は誰ですか?どんなところを尊敬していますか?
- 今の自分一番大きな影響を与えている出来事、経験は何ですか?それは自分の価値観にどんな影響を与えましたか?
- 今の社会には何が足りていないと思いますか?
- 「自分って人生で何を大事にしてそうかな?」と周りの人に聞く(できれば、その根拠となるエピソードも)
- 自分のこどもに対して、あるいは、他人に助言をするとして、一番伝えたい行動はなんですか?また、一番伝えたくない行動はなんですか?
ここから、わかるのは、「大事なこと」は、「価値観」だけに留まるものではないようです。
「価値観」以外に、「行動規範」のようなものも含まれているからです。
人の言動をみて、いいな、あるいは、嫌だなと思うとしたら、それはあなた自身の「行動規範」にマッチしていたり、マッチしていないということです。
たとえば、会社で、大きなプロジェクトやイベントがあり、連日残業しているメンバーに、部長とか役員とかが慰労に来て、「連日ご苦労さん」と、軽いスナックを差し入れてくれて、「うれしいな」と思うとしたら、「思いやり」とか、「優しさ」という「価値観」を大切だと感じているかもしれません。
反対に、部下を頭ごなしに𠮟りつける課長をみて、「嫌だな」と感じとしたら、「他人を人として尊重して扱うべき」という行動規範があるのかもしれません。
「大事なこと」は、「人生の目的」のこと?
これで、「大事なこと」には、「価値観」と「行動規範」が含まれることが明らかになりました。
では、それだけでしょうか?
私は、「大事なこと」は、「人生の目的」と深く関わっていると考えています。
「人生の目的」を達成すべく、人は生きていると信じているからです。
事実、ホスピス医の小澤竹俊さんの『もしあと1年で人生が終わるとしたら?』によれば、余命を宣告された末期の患者さんたちは、人生の最後に、「自分の人生に意味があったか?」「どうすれば生きてきてよかったと思えるか?」と苦悩するそうです。自分の人生に意味があったかどうかを決めるのは、自分が自分のらしく生きられてたか、自分の「人生の目的」を達成できたか、それによって、自分の人生を全うできるのだと理解しています。
そして、人生の目的の大前提は、何しろ、「生き続ける」ことに尽きます。
正直に言って、人生には、楽しいことより、つらいこと、悲しいことのほうが多く、生き続けることは大変です。でも、この世に生を受け、病気や事故といった災難も切り抜けて、今、「生き続けている」というのは、それだけで、素晴らしいことです。明石家さんまさんがいう、「人生、生きてるだけで丸儲け」の境地ですね。富や名誉や名声を得ることが価値あることではなく、個人が精いっぱい生きることが最も重要なことでしょう。
そして、人が人として、自分らしく生きるためには、「価値観」「行動規範」といったものが、その人のかけがえのなさをを形作っていると思います。
自分が人と違うという、ユニークな特徴、たとえば、私「加藤浩司」が「加藤浩司」であり、他のだれでもないのは、このバリュー(価値観、行動規範)によるものです。
しかし、人生の目的はここにとどまらず、さらに、「ビジョン」、「ミッション(使命)」というレベルがあるのです。ビジョンは、「こうありたい」という姿で、具体的に、たとえば、マザー・テレサのように博愛主義に生きたいというものです。
そして、「ミッション(使命)」とは、自分がこの世で果たさなければならないこと。天から与えられた使命です。
これを図にすると以下のようになります。
ここまで書いて、思ったのですが、ビジョンもミッションも、必ずしも、社会を変える、世界を良くするというような次元ではないということです。
自分のイメージする良き父、良き母として(=ビジョン)、より良い家庭を築く(ミッション)ということだって、あり得ます。どちらかが、上で、どちらかが下ということはありません。あくまで、個人の内面的なものですから。
「人生の目的」と「目標」の関係とは?
人生の目標は4階層になっていますから、それぞれの階層に対応する「目標」が設定されることになります。
大前提となる「生き続ける」に紐づけられる「目標」はたくさんあるでしょうし、多くの目標とその達成のための手段の選択は、最優先していることでしょう。
おそらく、私たちが行う様々な決定、決断は、この「生き続ける」という「人生の目的」レベルで処理されています。
つまり、現実的に、より現実的に物事を考えるということです。
危険はなるべく冒したくない。夢は追うが、夢物語は追わない。なるべく、食いっぱぐれない仕事にありつきたい。などなど、人生のキャリアでもそういうことはありますよね。
でも、人はパンのみにて生きるにあらず、です。
自分に与えれられた「使命」を果たそうとし、自分で定めた「ビジョン」を目指し、みずからの「価値観」「行動規範」に従って、その上で、「生き続ける」という最高の人生を目指したいのです。
「人生の目的」になるべく沿うようにして、日々を生きていく。
こうした毎日を過ごすことが、人生最後の瞬間(Judgement day)を、「良く生きた」と満面の笑顔で迎えれられるのでしょう。